Monday, March 20, 2006

福岡県西方沖地震あす1年 大半「仮設」戻らぬ暮らし


4月に小学校に入学する玄界島保育園の園児。保育園は島外の仮設住宅に併設されている=福岡市中央区の仮設住宅


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福岡県西方沖地震あす1年 大半「仮設」戻らぬ暮らし    

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2006/03/19

地震で崩れた家々が、1年前と同じ姿で残る玄界島。約180戸の住宅が取り壊され、新たに宅地や道路が整備される=福岡市西区  死者1人、負傷者1000人を超える被害を出した福岡県西方沖地震から、20日で1年。約7割の住宅が全半壊した福岡市西区の玄界島は、今も大半の住民が仮設住宅で暮らす。再生に向けて歩む島の現状を取材した。     (磯辺康子)

 玄界灘から吹き付ける風雨の中、重機の音が島に響いた。

 三月十六日。その朝、島で最初の家屋解体が始まった。地震から一年を前に、復興が目に見える形で動きだした。

 「マラソンでいえば、やっとスタートライン」。玄界島復興対策検討委員会の伊藤和義委員長(65)は、厳しい表情を崩さなかった。急斜面にへばりつくように連なる家々は、一年でさらに風化が進んだ。崩れ落%u306

Saturday, March 11, 2006

福岡J1復帰初勝利またお預け・・・

福岡J1復帰初勝利またお預け・・・



<J1:福岡1-1大宮>◇第2節◇11日◇博多球
 福岡のJ1復帰初勝利は、またお預けとなった。それでも、1575日ぶりに戻ってきた博多の森を福岡イレブンが沸かせた。前半9分。FW薮田からのパスを受けたDFアレックスが先制ゴール。開幕戦と同じようにセットプレーから同点とされたが、勝ち点1を積み上げた。「2点目を取らないと勝てないという気がするが、逆転されずによく踏ん張った」。松田監督には満足感もあった。



 チーム一丸となって、窮地を乗り越えた。先制点をアシストした薮田は、これが移籍後初スタメン。前半20分にも、右サイドのMF宮崎からのクロスを合わせたヘディングが惜しくもバーをたたくなど、精力的にゴールを狙い、昨年18得点を挙げたFWグラウシオが左足を痛めて欠場した穴をきっちり埋めた。

 薮田は守っても、福岡がJ2時代から磨きをかけてきた前線からプレスをかける組織プレーを実戦。「アビスパは、規律を持って組織的に守るのが重要」と薮田。復帰を果たした福岡の組織力は、チームの窮地でも動じることはなかった。

 グラウシオに続き、前半17分にはFW田中が左足首を痛め、途中退場。さらに窮地に立たされたイレブンも、セットプレー以外の流れの中で、最後までゴールを死守した。「サポーターの応援が選手を奮い立たせてくれた。90分間、全力を尽くす約束は果たせた」と松田監督。戻ってきた博多の森の熱い応援を胸に刻み、次節(18日・千葉戦)こそ復帰初勝利をつかむ。【村田義治】

写真=上:福岡対大宮 5年ぶりのJ1イレブンに声援を送る福岡サポーター(撮影・多田篤)
下:福岡対大宮 前半9分、福岡DFアレックスは左サイド突破から先制のゴール決める(撮影・多田篤)

Friday, March 10, 2006

天神の3百貨店、地震はねのけ05年度は増収

天神の3百貨店、地震はねのけ05年度は増収(06/03/09)


福岡市の中心繁華街、天神の百貨店売上高が上昇基調にある。2006年2月期の岩田屋本店、博多大丸・福岡天神店、三越福岡店の合計売上高は速報値で前期比0.5%増。昨年3月の福岡県西方沖地震の打撃をはねのけて増収を達成した。個人消費の回復を受け、九州全域から消費者を呼び込んでいる。

 三店合計の売上高は2018億円で前の期の2006億円を上回った。増収幅はわずかだが、昨年3月の地震の際は各店とも臨時休業に追い込まれ、月間売上高は9―20%の大幅減。岩田屋の場合「金額にして20億円もの出遅れ」(速水俊夫専務)を、初夏以降の伸びで吸収した。

 6月から12月まで7カ月連続で増収を達成した岩田屋では紳士服が約8%の大幅増。「5万円台の靴や化粧品類まで売れる」(同店)といい、クールビズで火が付いた男性消費を取り込んだ。足元の2月も紳士服は14.4%と二ケタの伸びだ。

 昨年2月に地下鉄七隈線が開通し、人の流れも変化した。博多大丸は地下街への直結通路ができ、入店客数が12.3%も増加。客数では岩田屋、三越ともに約3%減で、博多大丸が恩恵を独り占めした格好だ。ただ七隈線の乗客数は伸び悩み、今年は客数の反動減も予想される。

 唯一減収となった三越福岡店は夏場は1―3%台の安定的な伸びだったが、冬物から春物に切り替わる1、2月で0.9%減、2%減と苦戦したのが響いた。

 九州経済産業局によると、1月の九州各県の百貨店で増収になったのは福岡県(0.2%増)だけ。九州広域から先端的な消費者が天神に集まる傾向が鮮明になっている。

Thursday, March 09, 2006

イベント参加します

イベント参加します

いよいよ今週末は各地でイベントですね。
私は、今週末の11日(土)に福岡会場に参加します。
名札を付けていますので、是非お声をかけてくださいね。

今週も、たくさんのイベント初参加の方もいらっしゃるようですし
またまた福岡は皆さんの熱気で盛り上がりますよ~っ☆

Wednesday, March 08, 2006

福岡・博多の町情報


JR新博多駅ビルの核テナント、井筒屋譲歩で新たな局面




再開発が進むJR博多駅前(中央が現駅ビル) 2011年春に開業予定の新博多駅ビルの核テナント選定問題は、井筒屋が6日、JR九州との民事調停で、大幅に譲歩したことで新たな展開を迎えた。

 JR側は高島屋などの大手百貨店を軸に、月内にも核テナントを決める方針だが、営業継続の方法を巡る井筒屋との協議も絡み、核テナント選定の行方には、なお不透明感も漂っている。

 井筒屋が「核テナント問題に固執しない」考えを明らかにした結果、今月中をめどにしているJRの核テナント選びは、高島屋と阪急百貨店の2社を軸に進む見通しだ。

 ◆平行線
 JR九州と井筒屋は一昨年12月から、新駅ビルの核テナント問題を協議してきたが、「(高島屋など)出店を希望する複数の候補の中から最もふさわしい百貨店を選ぶ」とのJR側の方針に対し、現駅ビルで子会社の博多井筒屋が約40年間営業してきた井筒屋は「まずは当社と個別(優先的)に協議すべき」と主張し、対立した。

 昨年10月末に井筒屋が福岡簡裁に民事調停を申し立て、調停委員を交えて打開策を探ったが、選定方式という“入り口”で議論が平行線をたどり、交渉は行き詰まっていた。

 ◆譲歩の背景
 井筒屋側は調停後、「博多駅の開発や地域の利益を優先させた結果だ。核テナント出店が理想ではあるが、それにこだわらず、幅広い営業形態を模索して(交渉を)前に進めるべきと判断した」と、JR側に譲歩した理由を説明した。

 交渉が暗礁に乗り上げたままだと、JR側が井筒屋抜きで核テナント選びを進め、井筒屋にとっては「不戦敗」という事態を招きかねないとの判断も働いた模様だ。

 JR側の核テナント選定が大詰めを迎えている実情を踏まえ、「博多井筒屋の10万近いカード顧客や従業員を守る」ため、柔軟路線に転じたとも言える。

 JR側との対立が長引くことによるイメージの低下にも配慮したとみられる。

 ◆核テナントの行方
 一方、JR側は、今回の井筒屋の譲歩について、「一歩前進」と評価しながらも、「予想外だった」と戸惑いを隠さない。

 核テナントを巡っては、井筒屋のほか、高島屋も出店表明し、阪急百貨店も出店に意欲的だ。

 JRの計画では、新駅ビルの総面積は約20万平方メートル。このうち、核テナントの百貨店は6万平方メートルを想定しているが、最有力候補の高島屋は8万平方メートルの店舗面積を求めており、JRとの交渉は難航している。

 これに加え、JRは、現駅ビルに入居する博多井筒屋(店舗面積約1万8000平方メートル)をどのような形態や面積で新駅ビルに入居させるのかという難しい宿題を突きつけられた形だ。

 JRは今月中に核テナントを選定する方針を変えていない。核テナントの選定作業を進めながら、井筒屋とは調停外の個別交渉で具体的な営業継続に向けた提案をしなければならない。限られた店舗面積をどう割り振りするのか、JRの交渉力が一層問われる。

 JR博多駅ビル再開発を巡る動きと今後の予定

2004年12月27日 井筒屋が弁護士事務所と業務委託契約。「営業継続」を主張
2005年 1月11日 井筒屋がJR九州に出店表明
3月31日 新駅ビルの準備工事開始
 4月12日 高島屋が出店表明
10月31日 井筒屋が新駅ビルへの継続出店を求める民事調停を福岡簡裁に申し立て
12月 6日 1回目の民事調停
同27日 井筒屋が、JR側に出店交渉の条件を文書で提示
同29日 井筒屋が、JR側に出店交渉の条件を文書で提示
2006年 1月 JRが「他の百貨店との交渉を06年2月末まで中断する」と文書で回答
同31日 新駅ビル着工
2月10日 2回目の調停
同20日 JRが「選定方法を変えるつもりはない」と文書で回答
3月 6日 3回目の調停。井筒屋が「核店舗としての出店に固執しない」と表明
JRは3月中にも核店舗を決定
2007年 4月 現駅ビル解体工事開始
2011年  春 新駅ビル開業、九州新幹線全線開

読売新聞より

Tuesday, March 07, 2006

志賀島のワカメを知事に贈呈


志賀島のワカメを知事に贈呈 03/07 11:53


博多湾で今年採れたワカメをPRしようと福岡市の漁協の組合長たちがきょう、福岡県の麻生知事にワカメをプレゼントしました。
福岡市漁協の組合長ら5人はきょう午前10時半に福岡県庁を訪れ麻生知事に博多湾で採れたばかりの18キロの養殖ワカメを贈呈しました。
博多湾で採れるワカメはカルシウムやリンなどのミネラルが豊富で県外産のワカメに比べるとやわらかく食べやすいのが特徴だということです。
ワカメの養殖は福岡市東区の志賀島で盛んですが赤潮などの影響でこの3年ほど不作が続き去年は、全く採れませんでした。
今年は赤潮がなく4年ぶりの豊作となり天然ワカメとあわせて40トンほどの収穫が見込まれています。
ワカメは、今が旬で福岡市漁協の志賀島支所や弘支所で販売されています。

福岡・博多の町情報

新博多駅ビルで井筒屋が譲歩(06/03/07)                                  JR博多駅ビル(福岡市)の核テナントをめぐる井筒屋と九州旅客鉄道(JR九州)の民事調停で、井筒屋は6日、「営業が継続できれば核テナントに固執しない」と譲歩を表明した。JR九州が月内を目指す核テナント選定は、高島屋を軸に最終段階に入る。ただ、井筒屋が現実路線に転じたことが高島屋などとの面積配分に影響を及ぼすのは必至で、新たに難しい調整を迫られる。
 6日午前に第三回調停が福岡簡易裁判所で開かれ、席上で井筒屋が核テナントにこだわらない姿勢を示した。JR九州側も「原則論から話が進んだ」と評価。早ければ3月下旬にも井筒屋側に出店形態についての案を提示、調停以外の場で交渉の席を持つ。
 井筒屋が柔軟姿勢に転じたのは、タイムリミットが迫ってきたことが背景にある。JR九州は2011年春の九州新幹線全通に新ビル開業を合わせるため、核テナント決定の期限を3月末に設定。「調停が継続していても期限通りに決める」(JR九州の石原進社長)と強気を貫いた。
 井筒屋は現ビルで40年間営業してきた実績を踏まえ「まず当社と交渉すべきだ」と主張してきたが、JR九州は「各社平等」を譲らず高島屋などとの交渉は条件面に至るまで進展。「いったん白紙にとの言い方が現実的でない」(井筒屋側の今井和男弁護士)との考えに至った。
 「今でも百点満点は核テナントとしての出店」(同)ではあるが、10万人近い顧客を抱えるという博多から井筒屋の看板を下ろさないことを最優先。「ゼロか百か」の闘争から妥協点を探す戦略に転じた。
 JR九州側にとっても前進には違いないが、「もっと早く申し入れがあれば。ある意味戸惑っている」(三浦啓作弁護士)との思いもある。井筒屋の「部分参入」が、最有力候補である高島屋との交渉に影を落とす可能性があるからだ。
 岩田屋など百貨店三店がひしめく天神エリアに対抗するには、「地域最大の面積が要る」のが高島屋の譲れない一線だ。4万8000平方メートルの売り場面積に加え倉庫、飲食街など新ビルの総面積20万平方メートルのうち、8万平方メートル超を望んでいる。
 ただJR九州も自身が運営する専門店街「アミュプラザ」にある程度の面積を割く考えで、高島屋分の面積は売り場面積で3万5000平方メートルを提示しているもよう。両社の開きは大きく、高島屋は「それだけの面積では出られない」(幹部)と反発している。
 6日夜、JR九州の石原社長は高島屋と細部の交渉に臨んでいることを認め、「このまますんなり決まるか現段階では言えない」と含みを残した。
 二者に割って入る形になった井筒屋。高島屋とアミュプラザとの押し引きの間にどう組み込めるのか。JR側としても長引く議論の落としどころとして無視はできず、限りある面積をどう配分するのか新たな難題を抱えた。
 第四回の調停は4月21日で、「(補償など)退店交渉も大きな議題になる」(JR九州側)見通し。井筒屋は新ビルのテナント選定より「まず退店交渉が先」(中村真人社長)とも主張してきたが、自身の譲歩と引き換えにここでも実質的な交渉の場を引き出した。
 退店補償や井筒屋の出店形態、面積配分などすべての議論は、核テナント選定と分けて進めることはできない。JR側は調停を待たずに井筒屋との交渉を急ぎ、再開発をめぐる混乱に終止符を打つ考えだ。

Monday, March 06, 2006

大阪全国大会から帰ってきました!!!

福岡から金曜日に出発、月曜日の朝に帰ってくるという日程で行ってきました。!!

夜行バスと電車で10時間、お金と時間をかけて参加してきました。!!!

今回も稼ぐ情報をゲットしてきましたよょょょょ~~~

会場に到着したときは午前7時20分でしたがもう既に、沢山の人が並んでいました!!

何と、早朝(夜中とも言う)2時から並んだ人もいたそうな!